(弊社コラム『こんにちはスペースツーワンです』令和6年5月号の記事です)
辻本大輔 もうすぐ40歳。
かねてからの考えで、彼はスペースツーワンから羽ばたいていきます。
毎月のコラムの表紙を飾る彼の画は、パッと見て「う~ん」とその意味を想像するのに少し時間がかかるときもありましたが・・・(笑)隅々に描かれた細かい表現と色彩は彼の画伯たる由縁だと感じています。
これから彼は同業種でのチャレンジとなりますので、今後ともスペースツーワン同様、ご支援賜りますようお願い申し上げます。
さて、海外旅行に行って、ちょっとしたことで困ったとき、「地元の人々に親切にしてもらった」という感想を持つことも多いのではないでしょうか? 特にハワイに行くと日系の方々が多く(ハワイの人口の約15%を占める)、日本語で話してくれたり、教えてくれたりするので助かりますね。
(アロハの精神がここにもあるのだと感じます)
そんな日系の方々のルーツは海外移民です。日本最初の集団での海外移民は、1868年(明治元)にグアム島、ハワイ、1869年(明治2)に渡航したのがはじまりだそうで、また沖縄での本格的な移民は1900年(明治33)ハワイ(オアフ島)へ旅立った26人の集団移民が始まりとのこと、その後沖縄日系人のコミュニティーは広がり、地域社会への貢献も大きくなったようです。
そんな沖縄とハワイのエピソードで、「海から豚がやってきた」のお話があります。第2次大戦後、激戦地となった沖縄本島では、全人口の4分の1もの人々が亡くなり、荒廃をきわめました。もちろん亡くなったのは人だけではありません。沖縄の人々の生活に深く根付き、沖縄料理の主要食材でもある「豚」も、その数が激減したのです。
1947年、「布哇(ハワイ)連合沖縄救済会」を立ち上げ、沖縄を惨状から救うため寄付を募り、集まった寄付金約5万ドル(現在の5千万円)で「豚」を米国本土で買い付け、翌年沖縄に豚を528頭届け、その3年後には10万頭以上になり、今の沖縄の伝統的な食文化を支えたのです。アロハの精神とウチナンチュー魂は相通じるものがあるのですね。
鳥居靖三 MAHALO
★次回のHULAステージは8月30日 高槻トリシマホール
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